英真学園(えいしんがくえん)

 

教員ブログ

86年目を歩き始めました

2012/05/29

中間考査の最終日、5月25日は85回目の創立記念日でした。1927(昭和2)年5月25日。英真学園高校の前身である大阪高等女子職業学校の「開校式」が挙行され、その日が創立記念日とされました。創立者の一人、有山福重郎先生が書かれた著書『赤裸々の50年』の中に次のような記載が出てきます。 「~私は、地方の発展を期するためには、自治の向上を計らねばならぬとの考えから、意を決して大阪の府市政に関係することとなり、爾来至誠報国を念として一貫しつつあるが、更に他面時代の流れを観ると社会組織が日を遂うて複雑となり、之に伴のうて経済界が益々多岐を極むるに至って、生活上の脅威が次第に加わりつつあり、其の結果は、漸を遂うて女子の自覚を促し来り、所謂家庭総動員の叫びが高まって来た。而して之に関連して女子に適当なる職業教育を施して、其の自覚を促進助長することは、刻下の急務たると同時に、急迫する経済界緩和の一手段たるべきことを痛感し、私財を投じて大阪高等女子職業学校創立の計画を樹て、昭和2年1月17日文部大臣の設立認可を得て直ちに十三東之町に校舎の建築に着手し、昼夜兼行工事を督励して、同年4月16日竣成を告げ、奈良女子高等師範学校長槇山栄次氏及び時の大阪府学務部長上田荘太郎氏、大阪市教育部長小畑富記氏を顧問に嘱託し、同年4月25日入学式を挙げ、次で5月25日府市当局並びに関係者1千余名の来臨を得て開校式を挙行したのであるが、幸いに一般の諒解を得て相当の成績を収め、同年12月27日に至りて無試験検定により小学校裁縫科専科正教員たるの資格を附与せられることとなった。~」(文中より紹介) 有山福重郎先生は、1872(明治5)年、現在の生駒市生まれ。単身大阪に出て土木建築業に従事、その後西成郡神津村会議員をふりだしに、大阪府会議員・大阪市会議員を兼任して歴任。大阪府十三信用組合(現在の十三信用金庫)も設立されました。(「創立80周年記念誌」より) 踏切には一つひとつ名前がついていますが、本校の南館横の踏切には「女子職」踏切という名前がついています。言うまでもなく、大阪高等女子職業学校の「女子職」からその名前がついています。 その後、旧制の淀川女子商業学校と名前が変わり、学制改革により新制高校として、1948年より淀川高等学校となり、1953年に淀川女子高等学校と校名が変更され、2000(平成12)年、共学に伴い英真学園高等学校となり、現在に至っています。校名は変わってものその歴史や伝統はバトンタッチをされて受け継がれていっています。卒業生の数は、36,424名です。 創立86年目を歩き出しました。生徒の皆さんと先生・職員の全員で、時間を共有しながら、様々な取り組み、活動を積み上げながら、しっかり歴史を刻んでいきましょう。(内田)
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